最近思う事。他人への感謝、そうこれが大事☆

現代人が忘れている事がある。

それは他人への感謝だ!!

人が生まれその子が無事に成長し、成人して社会に出て新たな人と出会いそして縁が在れば家族を築きそして又子供が生まれる。

遥か昔から何世紀にも渡り継がれてきた生命の軌跡。

このドラマがあるのは誰かの優しさであったり気遣いや愛情無くしては成しえなかった何億何兆どころでは無い人々の想いから我々人類は生かされている。

 

話を要約すると、人は皆誰かのおかげで存在し、誰かのおかげで生き甲斐を感じ、誰かのおかげで日々を続けていく事ができる!

 

何気なく口にするお米だったり、美味いジュースや果物なんかでも当たり前だが多くの人が関わってあなたの元に届き、

それらを美味しく頂く事であなたや私自身に栄養が行き渡り、気分が上がり健康な状態を維持する事が出来ている。

 

こんな当たり前の事は皆我が国日本では有難い事に義務教育があり学校で一度は学ぶ事だが、学んでいた、純粋だったあの頃幼少期から、少しづつ時を超えて世の中の嫌な部分や汚い考え、ズルい大人を見て育ち、

以前は言えていたありがとうやごめんなさいと言った素直な言葉はどこかへ消えて行き、他人が信じられなくなったり嘘をついたり見栄を張ったり本当の自分を隠す為にブランド物で身を包んだり、あたかも自分にはそのブランドを着こなすだけの価値がある人物であるように着飾ってしまう。

もちろんこれは全ての人に当てはまる訳では無いが現代人はとにかく周りの目が気になったり同調圧力に押しつぶされそうになる事も多く

他人を信じられなく無くなり、常に虚勢を張り自分に圧力が掛からぬよう見栄を張っているのではないかと私は思います。

 

良く人は自分を映す鏡だと言われるように笑顔で接すれば相手も自然と笑顔になり、怒って接すれば相手も機嫌を損ねてしまう。

 

分かりやすく例を出すと例えば定食屋さんで店員さんにおうへいな態度を取る人が居るがこれは人として社会人としては最悪です。

お金を払って食べにきているのだからお客が偉いと勘違いしてしまっている人が居ますよね。

 

ここに感謝を当てはめてみると、お腹が空いた私に食べ物を提供してくれる、それも暖かく美味しい料理を、これはもはやお店や店員さんにありがとう。

と考えるのが正しいのではないかと思います。

 

すると自然に丁寧な言葉でこのセットをお願いしますと注文し、

そして頂きますとなり、店員さんもいらっしゃいませ。

当店で食事をしていただきありがとうと言う気持ちになればお互いに良い気持ちで過ごせます。

なのに近年この働く側の労働者にはお客の立場であれば何を言ってもやっても許されると思い違いをされている方が多く見受けられます。

 

そんな事だから特に飲食店などでは離職率は一向に止まりません。

さらに今ならコロナの影響もあり、給付金が上手く行き渡らないお店などでは飲食業を続けていく理由が見当たらず

過酷な労働環境になっています。

少し前に私は、ある居酒屋さんにふらりと立ち寄りましたそこで私は奥さんと静かにお酒を頂いておりました。

 

そのお店は店主のおやじさんともう一人歳の頃は50歳代半ば頃の店員さんが一人の計2人で小さなお店でテーブル席4卓、カウンター席は5人座れる広さで

テーブル席は全て2人〜4人と座って

カウンター席には2席1人づつ座って居ましたが店主のおやじさんは主に料理を作って店員さんが料理を運んだり片付けをしたり注文を確認したりをしていました。

忙しく動き回る2人を良く見ると店主のおやじさんは腰が悪いようで歩く時に腰を押さえて歩き、もう1人の店員さんもどうやら足が悪いようで引きずるように歩いています。

 

その店の注文はテーブル備え付けのタブレットで電子注文できてこのコロナ禍で余計な会話をしなくても注文ができるスタイルでしたが、

小さなお店と言う事もあり時短影響なども響き十分な料理の具材が置いていなかったのか、焼き鳥の盛り合わせを頼んだら途中で鳥が無くなってしまい、

鳥が売り切れてしまいましたと言われたので、何か余っている物で間に合わせてくださいとお願いしました。

 

店主のおやじさんはすみませんと言いながらにっこり笑顔で応えてくれ、

とても感じの良い印象を受けました。

そして運ばれて来た料理もとても美味しく頂きました。

 

ここまでは何気ないどこにでもある居酒屋さんでの話しですがこの後私の後ろのテーブル席で呑んで大きな声で話していた20代の若者達の行動を見て、いい気分でお酒を頂いていた私と奥さんはなんとも言えない気分になりました。

 

それは若者達は酔いが回り気分が高揚していたのは分かるのですが、一応このコロナ禍での時短営業で世間は静かに羽目を外さない程度にお酒を頂いたり食事をしたりしていると思いましたが、

この若者達は違いました、大声で笑い手を叩いて話し、タバコを吹かし、注文タブレットがあるにもかかわらず、口頭でビールおかわり灰皿持ってきて、お冷、お冷、そしてお冷、とまとめて言うのでは無く1人づつ先程の足の悪い店員さんが忙しく行ったり来たりしているのに注文を繰り返し、挙げ句の果てにトイレで嘔吐し汚す始末…

いくらお酒が入っているとは言え、なんとも言えない気分になりました。

 

この様な人達は全ての人では無く一部の人達だと言うことはもちろん理解しているのですが、最近本当に自分達さえ良ければいい、周りや他人の事を考えられない人達が多く見受けられます。

そこで皆さんにお願いしたい事があります、今一度、相手の気持ちを考えたり、他人に感謝する事を思い出して頂けないでしょうか?

この記事を読んでいる方はもちろんそんな方達では無いと願っておりますが、

私がここでこんな事を言っても大した影響力も無く、

すごく小さな声ですが人は決して1人では生きて行けない。

 

これは紛れもなく事実なのです。

毎日食べる食事は誰かが作った作物であったりあなたがまだ親元に居るのであれば親御さんが食事を用意してくれる。

 

その用意された食事の元である材料は元々誰かが田畑を耕し、海や川に出て魚を取り、牛や豚飼育してくれる事でスーパーに並びあなたの食卓に届く、

これらの日常は現代人であればオギャーと産まれた時から幾度となく繰り返されてきた当たり前の光景だが、

その当たり前に思える日々は実は豊かな国を作って来てくれた先人達の知恵や功績のおかげさまで国が整い人々が皆誰かの為に仕事をし、

その仕事を誰かがしてくれるおかげであなたが着ている服が出来上がり、簡単に手にする事が可能になっている。

 

考えてみれば仕事という文字は人に仕える事と書いて仕事ですね。

これすなわち人は誰かの為に働き誰かのおかげで生かされている訳で、そこに忘れてはいけない物がこの現代社会で置いていかれている感謝だと思うんです。

今日から上を向いて笑顔で自分から感謝の言葉を伝えましょう。

 

それでは皆さん長々と読んでくださりありがとうございました。

ではまた!